旅立ち、思い出の日々
美陽子です。
かわいいぽぽが昨日、旅立ちました。
推定16歳。
2016年4月、保健所で見かけて、頭から離れなくなったあの日から
ずっと、ぽぽは毎日私の中にいました。
一日たりとも、あのこのことを思わなかった日はなく
毎日とびきりかわいい。
そんなぽぽでした。
そんな存在がいなくなってしまって、
やばいくらいさみしいです。
あの子がなくなった途端、家にいるときの感覚が変わってしまいました。
いつもいく部屋に、違和感を覚える。
いつもいく洗面所が別の場所のよう。
いつもぽぽのことを意識して生活していたからか。
ぽぽがいない日々は全く別のもののようです。
お世話になった病院、お世話になった人、ぽぽのことを知ってくれている人に、
少しずつお礼を言いながら、気持ちを整理しています。
とりとめもない思いをきいてもらって、とても助かります。
こうして整理していくのですね・・・ありがたい。
出会いも一度。
別れも一度。
その間を紡ぐなにげなくて、日常で、あたりまえなしあわせな日々。
出会った瞬間から、別れの瞬間まで、経験させてもらったすべてのものは
ほんとうにたからものです。
今日父と妹と3人でぽぽを火葬場へ連れて行って、お別れをした帰り道、
食事をしようとレストランに寄りました。
まだ時間がはやかったので、コメダ珈琲によってコーヒーをのみながら、
ぽぽをはじめて見たとき写真(保健所に収容されている時の写真)を
見ていました。
あ~そうや~こんなふうやったなぁ
不安げやね
まるっとしててかわいい~
6号(檻の番号)にいたんだよねぇ・・
そんな会話をして、時間になったのでレストランへ。
通された席に座って、妹が一言
「このテーブル、6番や」
テーブルの隅に置かれていたお会計の札が、6番でした。
その瞬間、
「あぁ、ぽーがうちらをここに連れてきてくれたんやなぁ。ぽーからのメッセージやなぁ」
一瞬で感じてしまった。
この感覚は、なんとも言葉で言い表しにくい。
以前まろ(かわいいチワワ。17歳で旅立ち)を火葬場に連れていった時の、
部屋を出る瞬間にまろからとんできた透明な「ありがとう」の声のときとよく似ている。
100%安心できる存在
目の前にいなくても、目に見えなくても。
目の前にいたぽぽはとても痩せて、弱々しくて、でも力強い、でもとてもつらそうな姿。
けれど、すごく大きな愛なんですね。
目にみえなくなったあのこは。
あれは今月のはじめだったか。
ぽぽと会話をしました。
おなじところから来てる。
私に愛を伝えるそのために来てる。
ここ(この世、地球)は愛を忘れがちだから、思い出せるよう、そのため来た。
そして先に帰るからね。
ぽぽはこれを一瞬で伝えてくれました。
感動も、哀愁もなく、なにげない会話だという感じで。
でも私はえらく感動してしまって、
やせほそった老犬を涙目で「そうか~~~(涙)」と星空の下で抱きしめたものです。
あのときの感覚と、
今日の6番の感覚、
そしてまろの透明な言葉をキャッチしたときの感覚。
すべて同じ感覚です。
不思議な感覚。教えてくれてありがとう。
忘れているけど、こうして教えてもらうと思い出す。
この感覚をつかうんだねぇ・・・
ぽー、ありがとうね。
私はほんとうにあなたからもらったものがたくさんある。
それはたからもの。
ほんとうによくがんばったね。
ぽーちゃんほんとうにすごい。
しあわせな時間をありがとう。
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