2018-05-21

あなたの「気がかり」はなんですか?

最近トレーニングを再開しました。
今日は胸・肩が筋肉痛です。やっほーい!
3月に体調を崩した際、発熱して一気に体力を消耗した私は

それまでせっせと通っていたジムへの足がすっかり遠のいてしまいました。

身体は消耗し、でも仕事にエネルギーを注ぐ量は多く、
仕事から離れてもいつも仕事のこと考えて、
げっそり感消耗感が半端ないよ~身体は弱ってるし~~ のループ。
ジム通い楽しかったのになぁ…でも今は行きたいと思えないし…
そんな私は先月4月を「気がかり解消月間」とし、自分の気がかりに意識を向けていきました。
気がかり解消月間のはじめにやったのが、自分の気がかりを知るということ。
早速私の「気がかり」を見ていきました。
気になることをリストアップして、それを解消していくという地道な作業。
やってみるとリストを作ることで「忘れていた気がかり」が蘇り、解消に繋がりました。
また、毎朝今日やることをリストアップして、気がかりを意識してから仕事に取り組むことも始めました。
すると自分の中にスケジュール感が出て、作業が期限までにできるようになりました。
これは良い!
これらの作業を通して、自分の中にスキマができるのを感じました。
すると私は頭の中が大混乱であることに気がつきました。
ふむふむなるほど、俗に言うTODOリストの作成が、私の場合は蓋を
開けるきっかけになったのだな。
業務の気がかりが解消されることで、もっと深いところで影響力が大きい気がかりに気がついた。
業務の中でも自分がコントロールできるものに気が付いて、それがコントロールできるようになると、
「自分がコントロールできないもの」が自然と際立ってくるという事かもしれない。
ということで、スキマができた私は何が自分のストレスかにも意識を向けていきました。
すると、私のストレスは「私自身が自分が何を感じていてるのか分かってないこと」だとわかりました。
やっぱりそこよね。
私は沢山のことを感じている。
以前の私は「感じること」自体に蓋をしていたのでこれ自体は大きな進歩!
つまりとても感じるからこそ、蓋をしないとどうにかなってしまう恐れがあったのかもしれないね。
だから蓋をしたと。

そしておかしくなった。

感じることができるようになった。
(=感じることを否定していた自分に気が付いて、感じる自分に気が付いた)
そしたら今度は、感じる私がいろんなことを内包していることが分かったのです。
なので終わりではなく、むしろ始まりでした。

これはほんとに早いほうがいいと思う。

自分で言うのもなんだけど、
トラウマを抱えている場合は、内側が何層にもなっていて、本当の自分を生きていない。

スタート切ってからがようやく自分の人生の始まりになると思う。

だから早いほうがいいと思う。
私は自分を振り返るとそう思う。

(ちなみに、私の蓋が開いたのは3年半前。
こうしてまとめられるようになるまで3年半かかりました。私はね。)
内側からみなぎるエネルギーを感じます。
以前はこんな感覚全くありませんでした。
(でもこれはタイプによって違うと思います。みなぎるというよりかおだやか~なタイプもいるから。
また、表面は静かで内が激情型の人もいますよね。逆もしかり。)

沢山の「感じること」。
これは自分の中から湧いてくるもので、全部理由があります。
でも全部見きれていないのです。
頭がぱんぱんで、自分で何がなんだか分からない状態。
焦り、不安、不満、怒り、行き詰まり感、思うようになってない感、、、
漠然としているが、間違いなく一つ一つの感情の元がある。
 ↓
全部中途半端ってことやん!ぬお~うぎーぐがー!
しかしこれが分かっただけでも、解決してなくても、かなりすっきりします。
あとは一個一個見ていくだけ。

完全孤独な作業に入ります。

これが楽しいんだ。でも時間が要ります。
ちゃんとその時間を持たないとね。
持つって決めないと、出ては消えて出ては消えてを繰り返します。
なんでかな、って見ていきます。
これは結構忍耐が必要です。
自分のことなのに、自分でもよく分からなくなっているから。
それでもやると気が付く。自分に。
何とも言えないもやもやには、全部理由がある。
それは自分の中にあるもの。
それを見つけないといつも同じことを繰り返すし、
周りに振り回されます。
矛盾しているようですが、
自分のな中にあるものを見つけると、

周りに振り回されるという感覚がなくなります。

表現すると、やっぱり「自分を取り戻す」という感覚。
自分を取り戻していくと、「自分と思っていたら自分じゃなかったんだ」とか、「この自分ずっと知ってた!」とか経験します。
こういう経験って日常の中でもできるのかなぁ…。
今のところ私はできた試しがありません。
なんでだろうね。
やっぱり別の感覚を使わないとできないんだろう。
日常を認識する感覚とは別の感覚。
もやもやを止める「スイッチ」は自分の中にあります。
それを見つけたうえで外にアプローチすればよい。
そのときには、見つける以前と自分が変わっているから
アプローチの概念が変わっていることも多いが。
ぱんぱんだった頭の中の「枠」がとれて、広がっていく。
枠がとれると行きたい方向に行ける。
自分への制限が無くなるからです。
ぱんぱんということは、広がりたい「なにか」がある。
あなたにはどんなスイッチがありますか?
入口は「気がかり」にあるかもしれません。
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