まろから教えてもらったこと
こんにちは。
まろシリーズが続きます。
今回の投稿は短いです。
まろから教えてもらったこと。
とてもたくさんあるのですが、今日記したいと思ったことを。
2015年12月にまろの体調が一線をこえてから約3月。
まろの身体は少しずつ変わっていきました。
後ろ足が弱って歩きづらくなりました。
ごはんを食べなくなりました。
自力で歩けなくなりました。
座る姿勢を保持できなくなりました。
起き上がれなくなりました。
固形物を食べられなくなって流動食のみとなりました。
おしっこはが1日4回ほどでていたのが1回となり、
うんちは固形のものはでなくなり、色も黒いものになりました。
3か月かけて、まろは寝たきりになっていきました。
その経過の中で、まろの身体の変化に、まろ自身も対応するのがつらそうな時というのが何度かありました。
そういうとき、まろは目に見えて体調がわるそうでした。
前日よりも力なくぐったりとする姿をみて、ショックをうけ、「もう数日でだめかもしれない」と覚悟をし、泣けてきました。
けれど、それからまたその状態でまろは生き続けました。
そんなことを何度か繰り返したのです。
そのたびに、あれ?、と思っていました。
気づきのサインでした。
元気だったころのまろと比較したり、
今までの経過をふまえて今のまろを見たら、
まろは衰えてる、と見えました。
けれど、目の前のその姿に、衰えている、という姿にはどうしても見えない感覚を覚えました。
なぜなら、「目の前のまろは、その姿がまろ」だったからです。
実は2人の人が、寝たきりのまろをみてくれました。
そのときの様子に、私は気づきをもらいました。
Aさんは、まろをみて、いかにも悲しそうな顔をして、つらそうやね、と声をかけてくれました。
Bさんは、まろをみて、笑顔で、元気やね、がんばっとるね、と声をかけてくれました。
Aさんの姿をみて、私は正直、少し違和感を感じました。
私から見たまろはそのとき、とても穏やかに横になっていたからです。
まろに悲壮感はまったくかんじていませんでした。
一方Bさんは、まろの姿をみて、やさしくなで、笑顔で、うんうん、とコミュニケーションをとっていました。
衰えているとかそうでないとかは、比較するから生まれるんですね。
その命は、その命を精一杯輝かせて生きている。
私はまろに対して、自分でも驚くほど、かわいい、大切、という気持ちが湧きおこりました。
まろがどんな姿をしていてもです。
よぼよぼ、力が入らず、一切自分では動けない。
最期の2週間は吠えても声がでませんでした。
ほんとうに力がはいらなかった。
私は自分の中で、動物に限らず、見た目に衰えて寝たきりの人に、愛情をかけるという感覚がわかりませんでした。
私はまろのことがなければ、Aさんのような対応をするでしょう。間違いない。
けれどまろのことを通して、どんな姿でも、あふれる愛でかかわることができるんだと体感したのです。
もしかしたら、まろだけのことかもしれない。
けれど、寝たきりのわんこをみて、かわいそう、つらそう、という気持ちではなく、
頑張ってるなぁ、と笑顔になれる気がするんです。
過去の姿、様子から今の姿、様子を見る(認識する)ということ。
とてもありがちです。
けれどほんとうの意味で、その姿は、かわいそうでもなんでもなく、完璧なんだと思います。
結局長くなってしもたがな…。
読んでいただきありがとうございました。
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