自分が見ているものは自分でできている
先日、夜桜を見に行った際、猛烈にもやもやすることがありました。
お花見をしている人たちの中に、妙に気になる(気に触る)人物がいて、
その人物に対して妙にイライラしていたのです。
帰りの電車もなぜかその人物と同じ。
気にしないようにしてもどうにも気になってしまい、おさまらないイライラがありました。
帰宅後ももやもやして、翌日ももやもやしていました。
そこでやったのが自己ワーク。
なんでこんなにもやもやするのかを掘り下げてみました。
自分の中でなにが起きているのかを見にいきます。
ひたすら自分のなかを追っていきます。
あらゆる方向に掘り下げていきました。
その過程でいろいろなものが意識に上ってはくるのですが、
どれもしっくりこない!←ここがつらい。でもがんばれ。
でもやっていると、これは自分のトラウマに絡んでいるものだなぁということが見えてきました。
そしてようやく到達したとき、そこにいたのは、「配慮されていない私」でした。
見つけた瞬間、
「わぁ〜、知っていたよ、ずっと知っていた、ずっといたわ!」
そんな感覚になりました。
入り口はそのとある人物に対しての「いきがったバカ、クズ」という感情。
(これ自体最初なかなか出てきてくれませんでした)
ゴールは「配慮されていない私」
到達する直前に起こっていたのは、幼い当時の私の意識の中に入っていくというものでした。
今回の私なりのポイントは、「なんで?」
私が「いきがったバカ、クズ」に到達したとき、
そう感じる自分に「なんで?」と問いかけたら、
無性に笑けてくるという状態になりました。
なんでだろ〜とか言って笑って、「いきがったバカ、クズ」という感覚自体がなくなってしまったのです。
でもここで終わらせずに、「なんで私は彼を見たときに「いきがったバカ、クズ」と感じるんだろう」と追う作業をつづけました。そして無意識のなかにかくれていた傷ついた私を見つけたのです。
これは私にとってすごく勉強になった事例でした。
やっぱり自己ワークがすごく大切。
すごいですよね。
自分が見ているものはなんと自分でできているのですから。
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