2016-02-22

こんばんは。
久しぶりの更新です。

タイトル・鍵

さて、最近の私はというと。
ほんと、いろいろ、あるある…。

書くために思い出そうとすると、ぐわーともっていかれます。
(頭ぐわーん、ぐにゃり。でも誰もいないところで書いているから大丈夫。)

最近の私は、トラウマ、そこから湧き出る思考と、そこから外れる自分とを行ったりきたり
していました。

トラウマから湧き出る思考。
癒しを続けても、むっくりとこうして出てきます。
それはもう、つらい。くるしい。

でもおもしろいことに(全然おもしろくないけれど)、
ほんとうに「やりたくてやっている」んです。

「こうなることをわかっている」という感覚です。

父との会話で、私はキーキーギャンギャンしていました。
出てくる言葉はネガティブな思考から出るものばかり。

でも自分でははっきりわかる。ほんとうに伝えたいことを伝えられていないことを。

自分が出す言葉の裏にある「思い」を、こうしてギャンギャンする機会をもったことでわかりました。

それはトラウマから湧き出る思考から発言する私を「見ている」
そんな感覚とも言えました。

だれが、なにが、見ているんでしょう。

私はこの「見ている」のが「ほんとうの自分」なんだと思っています。

「湧き出る思考を、思考で解決・納得させようとする」
私はそんな自分を長いこと続けて生きてきました。
それが私の王道のパターン。
苦痛を取り除く方法であり、自分を守るための方法だったと言えます。

でもその頃は自分のほんとうの気持ちがみえませんでした。
たくさんのことを感じていたのに、自分がほんとうに感じていたことが、自分でわからなかった。

でもSpiritual Anatomy®と出会ってからは、トラウマから思考が沸くのを感じると、
その内側にある私のほんとうの気持ちがよく見えるようになりました。

自分を守るためにしていたことが、ほんとうは守れていなかったということに気付きました。

そして体感は言葉や思考にまさることもよくわかります。
そしてそのタイミングはハートにアクセスすることでくるということも。

ケーススタディセッション、セミナー会場、トレーニング。
SA®と出会い、今まで、様々な場面で、たくさんの人の「愛を思い出す瞬間」を目にし、その姿に感動し、魂が震えるような瞬間を何度も経験しました。

今まさに、私はほんとうの自分を思い出す人生を歩んでいます。
思い出し続ける人生を選択しています。

ハートにアクセスするとは、宇宙とつながること。

ほんとうの自分を思い出すとは、思考の奴隷から解放されること。
そして思考する自分も愛するということ。

タイトル・鍵

トラウマから湧き出る思考がつらすぎて、時に生きる気力もなくしてしまう。
魔物のように感じることもあります。

でも魔物でも悪でもなく、
ほんとうの自分を思い出すための大切な「鍵」。

思考に振り回されて苦しんだ時、さらなる思考をして自分を落ち着かせていた私は、
思考が湧き出る元の存在を見るようになったことで
同じように思考に振り回されても以前とは違う感覚で振り回されております。

しかしなににせよ、振り回されますが。ブンブンと。

話が少し変わりますが、
私は思考に振り回されるそんな自分をだめだと思っていました。

もっとも恐れていたのは、トラウマから湧き出る思考がとても愛に枯渇しているという感覚からくる「こんなに愛に枯渇している自分がプラクティショナーではだめだ」という思考の渦でした。

(私がはまった思考)
愛の枯渇を感じる
⬇️
こんな自分がプラクティショナーじゃだめだと思う
⬇️
トラウマから湧き出る思考と闘う、嫌う
⬇️
結果、ますます思考をぐるぐるさせる

なにがしたいのでしょうね。
不思議ですね。
どんどん元気をなくしてしまうという。

ほんとうに、「どうしたいの」と言いたくなります。
「なんでそんなことしてるの」って。

そうすると、思考がとまります。
そして、トラウマとそこに絡まるほんとうの思いが見えます。

ほんとうにそれが手っ取り早いです。ほんとうの自分を体感するには。
でもなかなか思考はトラウマをみせてくれません。

だから思考をとめるんですね。

とりとめなくてすみません。
私は整理できたんですけれど。涙

でもこんな私を生きているんですね。

私であることを喜ぶということは、こんな私のことも喜ぶということ。
すっかり忘れてしまいます。

でもこうして思い出す。
その繰り返しかな。

ではでは。

 

 

 

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