2016-03-23

ふと思った

ふと思いました。

「無理をする」

それって必ずひずみがでるんだなって。

だからといって無理をするのをなくすって、難しいと感じる。

けれど、なぜ「無理をする」んでしょうね…

ここに私は奥深さを感じます。
人の内側の奥深さ。

会社でのふとした自分の感情の動きに気づいた。

そこで、「過去に無理していた自分」に気がついた。
あぁ、だからか。
あの揺れ動きはだからか。

なぜ、無理をするんでしょうね。

ほんとうは望んでいたことがあった。
けれど、それは望んでも得られないんだと感じた
だから自分が頑張るほうに切り替えた

それによって成し遂げた
得たものもあった。
こんなことができるようになった。

けれど

けれど

無理したこと
我慢したこと

出てくる。

それは、子供みたいな自分かもしれない。
泣いて、わめいて、叫んでね

けれどこれって、なかなか自分では気が付かない形で出てくるものなんですね。

でもそれが、見えない愛なんですね。

全て教えてくれますね。
起こることは。
自分のことを。

どんどん自分を思い出して
自分にもどっていく

それは、いろんなエゴを見ることかもしれません。
どんどんエゴイストになることかもしれません。

でもそれは、ほんとうに自分と向き合うことでもあり、
その過程であり
結果である

私たちには、「今」があるのみ

いつ終わるか

誰も知りません

明日死ぬとしたら、今日どうする?

そんな質問をもしもらったら、私は、

「なにもできない」

そう答えるなって、ふと思ったんです。

終りが決まっていて、それを踏まえて生きる

私そういうつもりで生きていないなぁと気づきました。

あと、時間について、

明日死ぬといわれて今日1日できることって、ないなって思ったんです。

私たちを存在せしめるもの。それは時間。
映画「ルーシー」をみて、なるほど思ったな。

時間。

私たち、時間を与えてもらっています。

時間があるから、私たちは成し遂げたいことを成し遂げられるんだと気づきました。

時間を与えてもらっているなら、成し遂げたいことを成し遂げられるという意味なんですね。

でもその成し遂げたいことって、案外、時間をあたえてもらっているのに、難しい。

なぜか。

それは、足踏みするから。

未来への不安。

こうなったらどうしよう。
こうなるかもしれない。
そうなったら困る。
こうなったら大変。

それって、とても無意識に、いえ、自然にやっている。
私はそんな自分に気が付いた。

同時に、それってどうなんだろうと思った。
全く気持ちよくない

人生って、やりたいと思ったことをちゃんとやるってこと。

それはリスクを伴う事だったり、人から非難されることだったりするかも。

代わりのいない、自分に芽生えるわくわく。

ほんとうの意味で、自分しか存在しないこの人生。

目が見え、耳が聞こえ、いろんなことを想像できる頭がある私たちには、
ほんとうに自分の声をきくってことが難しいかもしれないこの世界で、
目が見え、耳が聞こえ、想像できる頭があるこの人生に真に喜びを感じて生きるためには、
愛にもとづいていきることだけなんじゃないかって

ふと思いました。

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