2016-07-26

次元を上げる

こんばんは。

光をつかって仕事をすると次元は上がっているようです。

難しい話はわかりません。

けれど、先日セッションをさせていただく中で、そういうことか〜と納得しました。

次元を上げる=光を思い出す

ともいえそうだけれど、

あのとき感じた感覚というのは、もっと「動き」がありました。

思い出す、だけではなくて、もっと能動的な感覚。

じっとしているときに光を思い出すのも、パワフルな癒しがあるのですが、

この3次元においては やはり「動き」が要(かなめ)な気がします。

光を思い出しながら仕事をすると、次元があがる

次元を上げるために光を思い出すのではありません。

次元を上げるのはあくまでも結果です。
そこに意味はなく。

光はどこまでも湧きます。
アクセスすれば、惜しみなく湧き出てきます。

じつは先週、かなり苦しい時間を過ごしていました。

光を完全に見失って、
光がなく、
苦しくて仕方なく、
こんな私がなんでセッションをするんだろう、とわからなくなり、
自分の中にある怯えや卑下や恐れやなんやらが私を占めてしまって。

食欲もなくなり(1食分だけ)

もう死んでしまおうかと思ったり(たった一瞬でした。でもすぐに涙が滲んで、「そんなことしたくないわ」と思っているってことがやっぱりわかった。反応が早いです。)

結局、今はすっかり元気です。
それは、闇のなかで「あぁ結局どんなに人や状況に不満をもったり責めても、やっぱり私だ」というところにいきついたこと、そして、セッションを通して光の感覚をものすごく感じたからです。

こうして闇にはいってしまうとその苦しさはほんとうに辛い。
どうしていいかわからなくなる。
苦しさでいっぱいになる感覚。
苦しさで満たされる感覚。

でもそれがきれいさっぱりなくなってしまう感覚も、同じこの私のなかで起こるんです。

私はそれがとても不思議です。

きれいさっぱりなくなってしまうものなのに、それに私はもがき苦しむんです。

この苦しみは一体なんなんだ、と思います。

でも確かに何かにものすごく苦しんでいるんです。

その何か、それがまさに思考。

思考が見えるという感覚を、最近なんとなくもつようになりました。

ばっちり見ます。
見ざるをえない状況になりました。
見るのが嫌だったからずっと見ていなかったんだと思います。
でもちゃんとみてあげないと、いつまでも終わらないんです。

思考って、終わらせてあげられるんです。
ちゃんと見てあげると、消えるんです。

でも、思考をみればみるほど、ものすごい掘り起こしになります。
ほりほりほりほり。
いちばんむきあいたくないのが、自分の思考なのかもしれない。

目の前の相手や、状況はカモフラージュのようです。
自分の思考を見なくて済むように。

覚悟がいります。
終わりがあるようで、実はないし、生きているかぎり、つづく。
でも生きながらにして終わりを迎えた人もいるかもしれないね。

思考は、見ればみるほど光が増えるなぁと感じます。
なぜなら、思考をみるというのは、潜在意識の中の思い込みやトラウマを見るということだから。
潜在意識の中の思い込みやトラウマを見るということと、魂の感覚を思い出すことはつながっているから。魂の感覚を思い出すことは光を思い出すということ。

今日ひさびさによんだアミ小さな宇宙人(1巻)のなかで、アミが言った言葉に感動して涙が出そうになった、その一文で今日のブログを終えようと思います。

「人生の深い意味は思考のもっとむこう側にあるんだ…」

 

 

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