2018-12-24

明けた…

ご無沙汰しております。

年末ですが明けました(どういうこと?)

ここ数日のモヤモヤが明けたのです。
思い込みが見えて明けました。

その思い込みとは、、、

「親を責める私は親不孝」「親に感謝できない私は親不孝」

私は「親を責め続ける親」をもって生まれました。
20うん年、親を責め続ける親を見続けています。

親を責める親を見ると、怒りが湧きました。
実際は大丈夫なとき(怒りが湧かない時)もあるんですが、

疲れて少し自分の中に余裕がなくなったり、歯車が少しずれると、ジャジャーン!と出てくる。なんだか帯状疱疹みたいですね・・・

でもどこかで、自分の中のその自分を消化しきれていなかったから出てきていたのです。

怒りの理由はいくつもあります。

私にとってのおばあちゃんはいいおばあちゃんなのに!とか
人を批判する姿を私に見せ続けて、私にどれだけ悪影響を与えてると思ってるんだ!とか、
私の時間をなんだと思ってるんだ!私の気持ちは無視か!とか。

この中にも傷ついた私や、「親とはこうあるべき!」という思い込みや悲しみがあるのはご愛嬌として…(=.=)
今回出てきた「親を責める私、感謝できない私は親不孝」ですが
「親を批判する親」が私にはどう見えるのかを見てみたら、出てきました。

見てみると、最初は「おやしらず」が出てきました。

……?

……おやしらず?

…歯やん(**)

そう、これは歯です、奥歯の。

でもなにか「ナントカ知らず」という言葉がひかかったんですよね。

そのあと、「感謝知らず」「感謝を忘れて人を責める」「めぐまれてるのに、感謝できず人を責める」親のことを、そんな風に見ているとわかりました。

すると、「親なのに感謝できない」←ここにひっかかっているとわかったんですね。

「感謝知らず」←これも刺さる

そこで突然、「親に感謝できない私は〇〇」が現る・・・この◯◯に何が入る?→「親不孝」

はい、出ました。

「親に感謝できない私は親不孝」
「親を責める私は親不孝」
私は「親に感謝できない自分を責めている」ことに気づいたんです。

親を批判する親のことを、私としてはもっともな理由で責めるのですが、
私は深いところで親を責める自分を責め続けていました。

親を責めて、親に感謝ができない私を、私ってなんて親不孝なんだと思っていることに気がついたのです。

親を責めたあとは決まって自己嫌悪に陥っていました。
でも怒りは出てくるし。なんでいつもこうなっちゃうんだろうと、自分に落ち込む。
これを繰り返していました。

でも、親を責めるって、あるよね。
叩かれて痛いと感じたり、嫌だと感じるのが自然なことのように、
風が吹けば草花がゆれることのように、
状況によって親を責めちゃう自分って、自然だと思う。

だから、親を責める私を責めなくてもいいんだよね、ほんとうはね。

「親を責める私は親不孝」が見えると、親を責める私を許せる。

目の前の相手(私の場合は私の親)が自分を苦しませるのではなく、

目の前の相手を責める自分を責めることで苦しんでいたと気づいたら、

目の前の相手を責める気持ちがなくなるというこの不思議。

このカラクリを言葉にするのはまだまだうまくできませんね。

ここが見えるまでの私はまるでジェットコースターでした。

明ける前はほんと暗いわ…

明けるお手伝いを私はこれからも続けたいねぇ。
明けると、思考の枠から出るので、ものすごい自由感を感じるはずです。

あれ、私なにに悩んでたんだろ〜
目の前のことはなにも変わってないのに、私が変わっちゃったもんだから、、、

こんな経験をこれからも皆さんにしてもらえるように、おそうじはこれからも続きます。

めりーくりすます🎅

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